G"art MEILOG

2016年04月25日

風立ちぬ

すっかり、暖かくなりましたね。
四月も終わりの週をむかえ、来月は五月。

わたしは、五月で36歳になります。

突然のお知らせですが、わたくし、G”−ARTのめいは、今月をもちまして、G”−ARTを退社いたします。

弟子入りを決意してから9年間、わたしなりに、一生懸命G”−ARTのめいとしてがんばってきました。

九年前、わたしは絵描きとして、アマチュアをぬけられない自分に、憤りを感じつつ、その状況を変える方法もわからず、ただ、日々を過ごしていました。

自分は、人見知りがはげしく、話すことも苦手で、それでも絵描きになりたくて、人目にあまりつかない場所で、密かに絵を描き続けていました。

そんなとき、G”−ARTの見習い募集の広告をみて、これだ!!とおもい、その足で、G”−ARTの門をたたいたのです。

人生には、何度か岐路があると、昔誰だかがいっていたのを思い出します。

人は、心の底に何かを感じた時に、風が吹くのだと思います。

その風を信じて、突き進む先に 何かがあるかもしれません。

わたしにとっての人生の岐路は、まさしくG”−ARTのめいになったことだと思います。

絵描きという仕事に向き合った時、わたしは沢山の現実と、沢山の支えと、自分がなにものでありたいかということを知りました。

子供のころから、変わり者だという感性を、コンプレックスにおもっていましたが、それも、自分のカラーなのだということに気がつき、友達や家族、先輩との交流、支えてくれるすべての人が、一番大切なのだということも知りました。

はじめてエアブラシをにぎったとき、うまく線もひけず、あきっぽいわたしに本当にできるのか??
とおもいましたが、いま、わたしにはそのためらいは一切ありません。

どんなことでも、きちんと向き合うことさえすれば、必ずできるようになります。

振り返ると、たくさんの絵描き仲間が、門をたたき、去って行きました。

絵描きの道は、決して華やかなものではありません。

けれども今でも、一生懸命続けている、多くの絵描きの先輩や、仲間がいます。

これから、何かをはじめようとしてるひと、また、何かの壁にぶち当たっている人。
やめないで、続けてください。 絶対にできるようになるし、続けていれば、必ず何かの形で自分のもとに帰ってくるでしょう。

この言葉は、いまうちで練習している絵描き仲間の 松井さん、土器ちゃん、さとしさんにおくります。
一緒に現場に出ることができて、本当にたのしかったです。最初はできなかったことができるようになり、一緒に現場をこなすのを見るのが、本当にうれしかったです。ありがとう

また、私が見習いのころから、支えてくれていた、友達、家族、先輩方。

いままで、何度も くじけそうになったときに支えてくれたのは、みなさんがいてくれたおかげです。

ありがとうございました。

そして、現場で一緒に働いた職人仲間のみなさん。
一風変わったG”−ARTのスタイルに、ついてきて下さってありがとうございました。
沢山の、技術や、知識や、経験を学ぶことができました。

みなさんの協力で、素晴らしい店舗が、街にたくさんあります。

自分がデザインしたものが、街中の誰かのもとに行くことの喜びは、言葉では表すことができません。
わたしは、いままで自分がしてきた仕事を誇りにおもっています。

世の常識からは、浮いているかもしれないけれど、この生き方が正しいなんてものは、だれにも決められないし、自分の中だけにあるのだとおもいます。

嫌われるかもしれないし、時には、馬鹿にされるかもしれないけれど、自分のスタイルをもつすべての人に そのまま自分らしく美しく生きていってほしいです。

最後に、私を9年間育ててくれた 師匠のひでさん

私達には、本当に沢山の思い出があります。

時に笑い、喧嘩をし、一緒に作り上げてきた者たち。共に闘い、苦水を飲んだこと、貧乏で仕事がなかったこと、すべてが私の中でいい思い出となってのこっています。

ひでさんには、感謝しかありません。

沢山の技術、経験、感性をありがとうございました。

変わり者のわたしに、合う感性は、師匠しかいないです。

家族や、友達、支えてくれる仲間や、お客さんを大切に、G”−ARTが これからますます発展していくことを祈っています。


G”−ARTの仕事は終わりますが、わたしはこれからも絵を描くことはやめません。

この先何度も、挫折しそうになるとおもうけれど、
何よりも大切な 自分のスタイルを 見つけることができました。

落ち着くまで、デザインの仕事と、エアブラシは休業しますが、
またどこかで 必ず復帰します。

いま頼んで頂いている仕事は、責任をもって納めさせていただきます。

ブログを読んで下さったすべての方、ありがとうございました。

わたしは、絵描きになって本当によかったとおもいます。

また、違った形で、皆様にお会いできる日をたのしみにしています。

長い間、本当にありがとうございました。

2016.4.25

G”−ART MURAL PAINTING 2番弟子 めい


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posted by MEI at 16:37| Comment(2) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

魔女たちの教え

私の周りには魔女がいる。

魔女というものはいったいなんであろうか?
ほうきにのって空を飛ぶ? 呪文をとなえて まじないをする?
人知をこえた力を宿している??

私の中の魔女の定義は NOである。
私が思う魔女とは、愛と知識をもち、内にある思いを、色んな形で表現する女性である。

その昔、いまよりも科学が遠く、厳しい環境の中で、女性たちは愛する者たちを育てていかなければならなかった。
そんな環境の中生まれた沢山の知識や知恵こそが、魔法であり、時として 科学の理解をこえた 癒しや、言い伝えとして今日ものこっている気がしてならない。

さて、わたしはそんな沢山の魔女たちに育てられた、見習い魔女である。
うちの亡くなったばあちゃんは、オーガニックブームなどというチャラいムーブメント以前から、ずっとそうやって生きてきた。
ばあちゃんの仲間も もちろんそうで、沢山の知恵と知識をもっていた。

何年か前の 冬にばあちゃんは亡くなった。
わたしは、もともと冬が寒くて大嫌いなのだが、ばあちゃんのことを思い出すので、冬はもっと嫌いになった。

2月も後半をむかえようとし、そろそろ暖かくなるかもしれない季節だが、私のもとに いやな知らせが届いた。

またひとり、偉大な魔女が この世から去ったそうだ。

小さい頃、この魔女の背中におんぶされ、子守唄を聞いたことを今でも覚えている。
小さな私に 着物を着せて、自分の孫のように喜んでくれていたらしい。
会ったときは、いつも 元気かと心配してくれた 本当に面倒見のいい人だった。

15年くらい前は、まだみんな元気で、よく魔女たちの集いに わたしもまざっていた。
80をこえたばあさまたちが、深夜まで笑い、語り合い、本当にタフだった。

当時から少しも変わらず、ふらふらしていた私に ばあさまは、
「めいぼうは、そのままでいいんだよ。やさしいルンペンでいいんだよ」という言葉をおくってくれたが、
ばあさんよ・・・わたしはルンペンではない。
いや、ぎゃくに そんなふうにおもっていたのかよという思い出もあるが、
今の私も たいして変わっていないし、とうとう魔女たちに恩返しできなかった。

そんな魔女たちの集いでよく話題にのぼったのが、月日のたつのははやいということだ。
自分たちも年をとったけれど、気持ちはあの頃のままだね?と。

はたちそこいらの自分には、80過ぎのばあさまも そんなふうにおもうんだなーくらいにしかおもわなかったのだが、ある夏に 魔女たちと 海にいったことがあった。

浜辺ではしゃぐ ばあさまたち、
気がつくと、みんなで 手をつないで スキップしている。。

はたからみれば、ある意味ホラーな絵ともとれるのだが、その光景を見た瞬間、一瞬であるが
私の目には、彼女たちが 10代の少女にみえたのだ。

これも魔法の一つであるとおもう。
どんなに年をとっても、人はみな一緒。
心は、それほど変わらないのだ。そんな気持ちにさせてくれた出来事をわたしはずっと忘れないだろう。

15年前には わからなかった魔女たちの言葉も、少しずつだがわかってきた気がする。
時の経つのははやいし、草や木や自然の大切さ、美しさ、おもいやり、

時の経つのが早いのならば、いがみあったり、憎みあったりするのではなく、大切な人と 笑顔の時間を過ごしていこう。

そんな気持ちを 魔女たちから教えてもらった。

時がどんなに過ぎても、あなたたちがこの世にいないことがさみしい。

いつかもう一度あえるなら、また魔女の集いに参加したい。

いつまでも あなたたちを越えられない見習い魔女として。

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お世話になったものの一人として、見送ってきたいとおもいます。

みなさまも、限りある時間を 大切な人と 楽しくお過ごしください。
posted by MEI at 12:46| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月18日

いぬねこ殺処分廃止署名運動

9月28日に わたしはFACEBOOK上で、殺処分廃止運動について書き込みをさせていただいた。
猫をひろって、初めて 殺処分というものを身近に感じたからだ。
わたしは、ただの 貧乏絵描きで、とくに人脈ももっていない。けれども、わたしの小さな書き込みを見ていてくれた多くの方の 署名を集めることができた。
直接メッセージをくれた方、署名用紙を持ち帰って、協力してくれた方、アトリエまで足を運んで署名してくれた方。 みなさん 本当にありがとうございます。
署名をする際に、この問題をどうすればいいか??という 話題になることが多かったようにおもう。
正直なところ、わたしは明確な 正解をもっているわけではないし、今考えてみても、素晴らしいと思えるような答えは 導き出せないでいる。

昨日、自分が拾った猫の 去勢をすませた。

実のところ、わたしは、この去勢に最後まで迷いがあった。
今生きているすべてのものには、歴史があり、その血を勝手に絶やすというのは、本当に助けていることになるのだろうか?? 責任とはなんだ??とか、色々考えた。

少し大きくなってきた、我が家の猫たちは、天気がいい日に、庭を楽しそうに走り回っている。
遠くにいても、名前を呼べば、競争しているかのように走り寄ってくるし、私が帰れば、我先にと、手のひらに子猫の時と同じように吸いついてくる。

わたしは、本当に、この猫たちに出会ってよかったとおもう。

しかしながら、この猫たちも、勝手に捨てられて、もしも、あの時 誰もみつけなかったら、死んでいた運命だ。

目も開いていない 小さな猫を 開かないように箱に詰めて放置するとは、なんてやつだ!!と、いまでもおもう。

人間というものは 本当に勝手な種族で、我が物顔で世界中を管理している。
猫たちには、本当に申し訳ないが、今私には、こうすることしかできないのだ。

嫌なものを見ると本当に気分がわるくなるが、それが現実であって、わたしもこの大きな流れに生きている一つにすぎない。

けれども、その現実の中で少しでも良い方向に 目を向けていこうとする人たちもいる。

最終的にどうしたらよいか、正解はみつからないかもしれないが、現時点で変えなければいけない問題はたくさんあるとおもう。

悪徳ブリーダーや、虐待している連中は、処罰されるべきであるとおもう。

この署名で、少しでも法律がかわってくれたらなと、切におもいます。

そしてもう一つ、
何も持っていない私でも、自分で動けば、ちいさな結果につながるし、もし、そういう人が沢山ふえれば、
多くのことが より早く より良くすることができる可能性が上がるということを知っていただきたい!

一人が10人集めれば、その数は最終的にはすごいものになる。
その小さな行動が 何かを動かせばいいな!

協力してくれた方、本当にありがとうございます。

けれども これは これで終わりというものではありません。

いつか いい方向にむかいますように これからもわたしは 行動していこうとおもいます。

長文読んでくれてありがとう! それでは、また   

G−ART めい

↓こちらから署名できます!
https://www.change.org/p/%E7%92%B0%E5%A2%83%E7%9C%81-stop-japan-gassing-%E6%AE%BA%E5%87%A6%E5%88%86-%E5%BB%83%E6%AD%A21-000-000-%E7%BD%B2%E5%90%8D-japan-stop-animal-auschwitz?recruiter=3019483&utm_source=share_petition&utm_medium=copylink
posted by MEI at 16:49| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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