私の周りには魔女がいる。
魔女というものはいったいなんであろうか?
ほうきにのって空を飛ぶ? 呪文をとなえて まじないをする?
人知をこえた力を宿している??
私の中の魔女の定義は NOである。
私が思う魔女とは、愛と知識をもち、内にある思いを、色んな形で表現する女性である。
その昔、いまよりも科学が遠く、厳しい環境の中で、女性たちは愛する者たちを育てていかなければならなかった。
そんな環境の中生まれた沢山の知識や知恵こそが、魔法であり、時として 科学の理解をこえた 癒しや、言い伝えとして今日ものこっている気がしてならない。
さて、わたしはそんな沢山の魔女たちに育てられた、見習い魔女である。
うちの亡くなったばあちゃんは、オーガニックブームなどというチャラいムーブメント以前から、ずっとそうやって生きてきた。
ばあちゃんの仲間も もちろんそうで、沢山の知恵と知識をもっていた。
何年か前の 冬にばあちゃんは亡くなった。
わたしは、もともと冬が寒くて大嫌いなのだが、ばあちゃんのことを思い出すので、冬はもっと嫌いになった。
2月も後半をむかえようとし、そろそろ暖かくなるかもしれない季節だが、私のもとに いやな知らせが届いた。
またひとり、偉大な魔女が この世から去ったそうだ。
小さい頃、この魔女の背中におんぶされ、子守唄を聞いたことを今でも覚えている。
小さな私に 着物を着せて、自分の孫のように喜んでくれていたらしい。
会ったときは、いつも 元気かと心配してくれた 本当に面倒見のいい人だった。
15年くらい前は、まだみんな元気で、よく魔女たちの集いに わたしもまざっていた。
80をこえたばあさまたちが、深夜まで笑い、語り合い、本当にタフだった。
当時から少しも変わらず、ふらふらしていた私に ばあさまは、
「めいぼうは、そのままでいいんだよ。やさしいルンペンでいいんだよ」という言葉をおくってくれたが、
ばあさんよ・・・わたしはルンペンではない。
いや、ぎゃくに そんなふうにおもっていたのかよという思い出もあるが、
今の私も たいして変わっていないし、とうとう魔女たちに恩返しできなかった。
そんな魔女たちの集いでよく話題にのぼったのが、月日のたつのははやいということだ。
自分たちも年をとったけれど、気持ちはあの頃のままだね?と。
はたちそこいらの自分には、80過ぎのばあさまも そんなふうにおもうんだなーくらいにしかおもわなかったのだが、ある夏に 魔女たちと 海にいったことがあった。
浜辺ではしゃぐ ばあさまたち、
気がつくと、みんなで 手をつないで スキップしている。。
はたからみれば、ある意味ホラーな絵ともとれるのだが、その光景を見た瞬間、一瞬であるが
私の目には、彼女たちが 10代の少女にみえたのだ。
これも魔法の一つであるとおもう。
どんなに年をとっても、人はみな一緒。
心は、それほど変わらないのだ。そんな気持ちにさせてくれた出来事をわたしはずっと忘れないだろう。
15年前には わからなかった魔女たちの言葉も、少しずつだがわかってきた気がする。
時の経つのははやいし、草や木や自然の大切さ、美しさ、おもいやり、
時の経つのが早いのならば、いがみあったり、憎みあったりするのではなく、大切な人と 笑顔の時間を過ごしていこう。
そんな気持ちを 魔女たちから教えてもらった。
時がどんなに過ぎても、あなたたちがこの世にいないことがさみしい。
いつかもう一度あえるなら、また魔女の集いに参加したい。
いつまでも あなたたちを越えられない見習い魔女として。

お世話になったものの一人として、見送ってきたいとおもいます。
みなさまも、限りある時間を 大切な人と 楽しくお過ごしください。